「研修」で終わらせない――元厚生労働審議官・田中誠二氏が語る、AI時代のリスキリングと労働市場
最終更新日:2026.10.20
「リスキリング」という言葉が広く使われるようになった一方で、研修を用意するだけで成果につながらない——そんな悩みを抱える企業は少なくありません。AIの進化が仕事のかたちを変え、人が働く期間も長くなるなか、企業・個人・行政はこれから何をすべきなのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、厚生労働省で職業能力開発・労働基準・職業安定行政に長く携わり、職業安定局長、厚生労働審議官を歴任された田中誠二氏(2025年7月退官)。行政の最前線で労働政策を見てきた立場から、日本におけるリスキリングの「現在地」と「これから」を語っていただきました。(取材日:2026年9月29日/聞き手:リスキリングドットコム編集部)

田中 誠二(たなか せいじ)氏 プロフィール
元厚生労働審議官。1987年に京都大学法学部を卒業後、(旧)労働省に入省。厚生労働省で職業能力開発・労働基準・職業安定の各分野を歴任し、2025年7月に退官。
- 1987年 京都大学法学部卒、(旧)労働省入省
- 2001年 厚生労働省 職業能力開発局 総務課長補佐
- 2009年 労働基準局 補償課長
- 2010年 同局 労働条件政策課長
- 2016年 同局 安全衛生部長
- 2020年 職業安定局長
- 2023年 厚生労働審議官(2025年7月退官)
この記事で分かること
- いま日本でリスキリングが重視される本質的な理由
- AI時代に「成果につながる企業」と「形だけで終わる企業」の違い
- 公的支援の活用法、中高年の学び直し、企業・個人・社会それぞれの役割
いま、なぜリスキリングがこれほど重視されるのか
——単なるスキル習得ブームではなく、労働市場全体で何が変わっているのでしょうか。
背景には大きく二つの理由があると考えています。一つは「仕事が変わる速さ」 が非常に速くなっていること。もう一つは 「人が働く期間=職業人生の長さ」が長くなっていることです。
同じ職業であっても、その仕事を構成するタスクやスキルの組み合わせが短期間で変わるようになりました。かつては製造現場の自動化など定型業務の変化が中心でしたが、 AIの登場により、事務職・専門職・管理職といったホワイトカラーの仕事にも変化の速度を速めるベクトルが働いています。
もう一つの「職業人生の長さ」 について、日本は世界でも顕著に長くなっている国です。 2005年から2024年にかけて、55〜64歳の就業率は64%から79%へ、65〜69歳は34%から54%へと大きく上昇しました。全年齢で見ても58%から62%へと上がっています。 高齢化が進めば通常は全体の就業率は下がる圧力がかかりますが、日本は高齢者や女性の就業拡大で社会全体の就業率を維持・微増させてきたのです。
長く働けるというだけでは済まない時代になります。職業人生の中で、仕事の中身を何度も変化させ、多様な変化に対応する「能力の更新」が必要になる。まさにリスキリングが、キャリアを全うするために不可欠な要素になっていくのです。
高齢化で世界の最先端を行く日本がこの仕組みをうまく確立できれば、今後各国が迎える高齢化人口減少社会における新しい労働モデルを、世界に先駆けて示すことができる。リスキリングの政策的、社会的な意義は非常に大きいと考えています。
AIで仕事はどうなるのか——「すべての仕事が変わる」
——AIの普及で、なくなる仕事・変わる仕事・生まれる仕事をどう見ていますか。
どの職業がなくなる・生まれるという議論の前に、「人とコンピューターの関係がどう変わるか」 を見る必要があります。 結論から言えば、 すべての仕事が変わるということです。 いまやコンピューターを使わない仕事はほとんどないなかで、AIの登場によって、人間とコンピューターの関係性が根本から変わろうとしているからです。
1980~90年代のIT革命では、人間がワープロや表計算、プログラミングなどコンピューターの言葉を覚える必要がありました。ところが生成AIでは逆方向で、人間が普通の言葉で「こうしたい」 と伝えれば、AIがコンピューターの処理へ翻訳してくれます。つまりコンピューター側が人間の言葉を理解し始めている。その結果、検索・入力・定型文書の作成・単純なコーディングといった、IT革命によって生まれた「人とコンピューターをつなぐ作業」は、人からAIへと、その担い手が急速にシフトしているのが現在の状況です。
ただし、それは人間の仕事がなくなるということではありません。計算ツールが、そろばんから電卓、そしてパソコンに変わっても、計算結果を使って何を判断するかは人間の仕事として残ったように、人間の仕事は一段上流へ移るのだと思います。何をしたいのかを考える、問いを立てる、AIの結果を評価する、現実の状況に当てはめる、最終的に判断する。こうした能力の価値が高まっていくと見ています。
したがって、職業が丸ごとなくなるというより、一つ一つの職業の中で、人が担うタスクとコンピューターが担うタスクの境界が大きく組み替わっていくと考えるべきだと思います。
AIエージェントの進化も著しく、資料作成やサイト制作、PC上のファイル編集まで一連の工程を担える例が出てきています。従来1か月~1か月半かかったランディングページ制作が数日、数日かかった営業資料が数時間でできる場合もある。もちろんセキュリティや悪用、暴走といったリスクへの対応は欠かせませんが、使える人・使えない人の分断も過渡期を過ぎれば解消され、誰もが使える技術になっていくでしょう。
学習支援ソフトの発達に見られるように、AIによって人材育成が効率化するという面もみられます。AIの登場によって、やっとコンピューターが人間の「相棒」 になってきた、という感覚です。

成果につながる企業と、形だけで終わる企業の違いは
——研修を用意するだけで終わる企業も多い。成果につながる企業との違いは何でしょうか。
リスキリングを単なる研修の一種、あるいは離職を防ぐためのリテンション施策と捉えると、方向性を誤ります。結論から言えば、リスキリングは、企業が社員とともに変化し成長していくための 「経営戦略そのもの」です。
ですから「どんな研修を用意するか」から考えてはいけません。 まず3年後・ 5年後・10年後にどんな事業をやりたいのか、そのためにどんな仕事が必要になり、社員にどんな能力が要るのか-この順で考える。そして忘れてはならないのが、学んだ後にその能力を使える仕事を用意することです。研修を受けても活かす場がなければ無駄になり、人材が社外へ出ていく一因にもなります。人員配置や新規プロジェクト、新事業を思い描き、学習と仕事の変化をセットで設計する。これはもはや企業戦略そのものです。
能力が高まれば社外でも通用します。それを恐れてリスキリングを躊躇する企業もありますが、恐れてはいけない。「どこへでも行ける人材が、それでもここで働きたいと思う企業・仕事」をつくる。それがあって初めて、成果としてのリテンションにつながるのです。
中小企業は、何から始めればいいか
限られたリソースの中小企業でも、 出発点は同じです。 次の事業戦略をよく考え、社員と共有すること。 社員がどこを向けばよいか分からないまま自己研鑽をしても、会社の将来像と個人のキャリア像がすり合わず、かえって離職の原因になりかねません。 もちろん全員が会社の方針どおりに動くわけではないので、 とどまる人出ていく人を含めて、 自社の市場での立ち位置を踏まえた人材戦略を描くことが大切です。
戦略分野(AI・半導体・GX)の人材を、誰がどう育てるか
AI半導体・GXなど、社内にまだ十分に存在しない能力を育てるには、仕事を通じて育てるOJTだけでは足りません。企業の外で学ぶOff-JTとの組み合わせが重要になります。 日本の強みだったOJTの価値自体は変わりませんが、新分野ではその限界を認識し、外部学習と組み合わせる必要があります。
役割分担としては、まず、企業・産業界は、人材需要、つまり 「これからどんな仕事が増え、どんな能力の人材がどれだけ必要か」ということを社内外に見える形で示すことが求められます。これは、企業が自社内に人材を囲い込んで育てながら活用するという発想から、労働市場全体での人材育成に「見える化」で寄与しつつ、労働市場からふさわしい人材を採用・配置・活用するという、市場とのギブアンドテイクの発想への転換でもあります。
また、こうした人材需要と、働く人の経験・能力、教育訓練の機会をつなぐ仕組みの強化も必要です。現在、教育訓練機関や人材ビジネスがそれぞれ担っているその役割は、今後は、人材紹介や転職支援、学習支援などを一体的に提供する「人材プラットフォーム」の役割に置き換わっていく時代となるでしょう。これは、現在の教育訓練市場と人材マッチング市場の、リスキリングを通じた融合とも言えます。
そして、行政にも重要な役割があります。様々な特色ある人材プラットフォームを通じて、企業・教育機関・人材ビジネス・個人がつながりやすくすべく、情報共有などの「共通基盤」、スキルやタスクを表現するための「共通言語」といった労働市場のインフラを整えることです。

公的支援・助成金は、どう活用すべきか
——制度が複雑で使いこなせないという声もあります。
この5年間の人材投資 (いわゆる一兆円規模の政策) は、企業・個人に広く学び直しに取り組んでもらう 「裾野を広げる段階」 だったと評価しています。日本は企業も個人も訓練に取り組む度合いが低いと言われてきたので、一気に裾野を広げる意義がありました。今後は、人材も財源も限られるなかで、成長に特に必要な戦略分野の人材を重点的に育てる方向へ、 少しずつシフトしていくと見ています。
助成制度が複雑になる一因は、 多種多様な企業訓練を広く助成するため、一件ごとに助成の価値や効果を確認する必要があり、 書類や確認事項が増えてしまう構造にあります。逆に、 戦略分野で必要なスキルと質の高い訓練プログラムが明確に認定できれば、 受講そのものに意義があると分かるため、手続きを簡素化できる余地が生まれます。
今後は、中小企業単独ではリスキリングに取り組みにくいという実情も踏まえ、業界・業界団体など「企業を超えた単位」への支援が重要となってくると思われます。
企業に伝えたいのは、 助成金の要件に合わせて研修をつくるのではなく、伸ばしたい事業・育てたい人材・担ってほしい仕事を先に設計すること。 助成金の受動的な受給者ではなく、行政とともに仕組みをつくる 「協働の形成者」として、育成戦略と成果を双方向で伝えていく姿勢が大切です。
40代・50代のリスキリングを成功させるには
私はむしろ、 40代・50代はリスキリングの 「適齢期」だと考えています。 かつては中高年への教育投資は回収期間が短く非効率とされましたが、前提は大きく変わりました。 50歳からでも15年、20年の職業人生が残る一方、 少子化で若年労働力は減り、若手を採用して高齢者と置き換えることも難しくなっています。
企業は、 40代・50代を 「古い技能を持った人」ではなく、 「20年、30年分の経験を持ち、 そこに新しい能力を加えられる人材として見る必要があります。 本人にとっても、これまでの蓄積があり、これからの時間も十分残っている好位置です。過去を捨ててゼロから始めるのではなく、まず経験・能力を棚卸しし、それが労働市場でどう評価されるかを確認したうえで、次にやりたい仕事との差分を埋めていく。 40代・50代は職業人生の終盤ではなく、「後半戦のスタート地点」 と捉えるべきです。
リスキリングは誰の責任か——「協働のトライアングル」
社会・企業・個人のそれぞれに意味と役割があります。ただし責任を三等分する話ではありません。 三者が同時に投資することで、国全体の投資量と効果を高められる–いわば 「協働のトライアングル」 だと捉えるべきです。
社会(行政) にとっては、労働移動を通じて労働力の適正配置を促す基盤–教育訓練、 職業情報、 能力評価、 キャリア支援、人材マッチングの基盤整備。 企業にとっては、 職業生涯を通じた能力発揮を促す従来の雇用責任に加え、今後は、社員が主体的にキャリアを形成する機会の確保が大事になる。 個人にとっては、 主体的なキャリア形成と、身につけた能力を仕事で発揮して新たな価値を生むこと。 企業だけに任せれば「育てても辞める」と過少投資になり、 個人だけに任せれば「何を学べば仕事につながるか分からない」状態になる。 だからこそ両者のコミュニケーションと、それを支える社会の基盤が要るのです。

人的資本の可視化と、AI時代の人事・キャリア支援
人的資本の可視化は、有価証券報告書などで投資家に開示する話になりがちです。 それも重要ですが、 その前に社内で行うべき可視化があります。 企業と社員が、いまのことだけでなく「これから何ができるのか」というポテンシャルを互いに見えるようにすることです。 企業は3年後・5年後にどんな事業に進み、 どんな仕事・役割・能力を求めるのかを将来像として示す。 社員は経験・能力、 学習で可能になること、 やりたい仕事を明らかにする。
そして、双方の将来像を重ね合わせ、その接点に新しい仕事やリスキリングへの取組みを置くことが大事です。
——AI時代に、キャリアコンサルタントや人事の役割はどう変わりますか。
求人・職業情報の調査、経験・能力の整理、 職務との適合度の分析といった領域は、AIが担いやすくなります。 一方で、 判断への信頼、 本人の納得、結果への責任、 意思決定を後押しすること–ここは人に残ります。 最終的な責任までAIに丸投げすれば、 本人や企業全体の信頼を損ないかねません。 AIに任せられる部分と人が担うべき部分の境界を見極め、人事やキャリア相談のプロセスや結果に対する納得性を高めることが、これからの人事・キャリア支援の要になります。
これから取り組む経営者・人事へ——3つのキーワード
最後に、リスキリングを考えるうえで特に重要だと思うキーワードを三つ挙げます。
- 変化の加速と職業人生の長期化:仕事やスキルの変化が速くなる一方で働く期間は長くなり、 職業人生の中で仕事や職種を変える機会が増える。
- 主体的な移動と転換:リスキリングは今の仕事を上達させるだけでなく、職種・企業・時に産業を越えて新たな役割へ移るためのもの。個人が現在地・行き先・必要な能力を主体的に考える必要がある。
- 価値創造のための協働:個人の学習だけでは完結しない。 企業が能力を発揮できる仕事をつくり、社会が適正配置の基盤を整え、 教育機関・人材ビジネス・AIを含む各主体が能力形成を支える。
日本は高齢化・人口減少が進む一方、高齢期まで働く意欲と実績を持っています。 企業の中だけで人を育てるモデルから、社会全体で能力を更新するモデルへ移行できれば、高齢化 人口減少社会におけるリスキリングのモデルを世界に示せるはずです。
取材を終えて
田中氏の話に通底するのは、 「リスキリング=研修」 という捉え方からの脱却でした。 学ぶことを目的化せず、 事業戦略と結びつけ、 学んだ後に活かす仕事まで設計する。そして企業・個人・社会が同時に投資する。当メディアも、読者が「自社で何から始めるか」を考える一助となる情報を届けていきたいと考えています。
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取材・構成:リスキリングドットコム編集部|取材日:2026年9月29日



