【導入事例】「AIを使わせない」が、いちばんのリスク
最終更新日:2026.06.17
(左から)株式会社KIZASHI 吉田圭佑、株式会社ペイロール 原 健太 様、杉本 友也 様
一度の情報漏洩も許されない会社が、AI活用へ本気で踏み込んだ理由
給与計算BPOのリーディングカンパニー、株式会社ペイロール。一度の情報漏洩が、積み上げた信頼を根こそぎ奪いかねない。それほど緊張感の高い事業だ。この前提からすれば、生成AIへの向き合い方は「まず禁止、慎重に制限」へ傾きがちだろう。ところが同社が選んだのは、正反対の一手だった。希望する正社員330名(全正社員の約52%)が、業務のなかでAIを学び、日々の業務で使いはじめている。
なぜ、最も慎重であるべき会社が、これほど大胆にAIへ踏み込んだのか。その背景には、「使わせないことこそ、かえって危うい」という逆転の発想があった。禁止しても、人は隠れて使う。知らないまま無自覚に使われることこそ最大のリスクであり、必要な人全員が正しく使える状態をつくることが、結局は最大の防御になる。同社の出した答えは、明快だった。
聞き手を務めたのは、数多くの企業のAIリスキリング導入を支援してきた株式会社KIZASHIの吉田圭佑。上席執行役員 Product本部の原 健太様、執行役員の杉本 友也様に、その逆説の理由と、社内のリテラシーを実際に底上げできた仕組みを伺った。
浮かび上がってきたのは、社内ハッカソンから生まれた手応え、研修と現場活用を両輪で回す設計、そして還暦を超えたCFOが先頭を切ってAIを学ぶカルチャー。同じ業界・同じ規模の経営層にとって、極めて実践的なヒントが詰まった対話となった。
話し手
原 健太 氏 株式会社ペイロール 上席執行役員 Product本部
杉本 友也 氏 株式会社ペイロール 執行役員
聞き手
吉田 圭佑 株式会社KIZASHI リスキリング事業部 執行役員 兼 営業統括
「HR BPaaS」という、日本ではかなり独自性の高いサービスを支える組織
吉田:
はじめに、ペイロールさんの事業内容についてあらためて教えてください。
原:
私たちのメインサービスは「HR BPaaS」という、日本ではかなり独自性の高いサービスです。SaaSで給与計算システムを提供する会社は他にもありますが、SaaSだけでは結局それを運用する人事担当者のリソースが必要になります。
「HR BPaaS」はSaaSとBPOを一体型にすることで、人事の手間を圧倒的に削減する。これが私たちの価値です。
日本の給与周りは法改正も多く、お客様ごとに個別の就業規則や規程をお持ちです。その一社ごとに異なる複雑な要件を受け止めながら、標準化された一つのサービスとして安定的に提供していく。そこに非常に高いご評価をいただいています。
吉田:
組織はどのような体制になっているのでしょうか。
原:
製品開発以外で大きく3つのチームがあります。1つ目は導入支援を行う「セットアップ」。2つ目が「プロセス」、これは毎月の給与計算をお客様の代わりに私たちが実行するチームで、社内で最も人数が多い組織です。3つ目が「BPO」で、コールセンターや証明書発行などのセンター業務を担います。
プロセスの仕事は、数万人規模のお客様だとエラーが多岐にわたります。支払い日までに確実にエラーをゼロにして支払いを完了させる。これが最も重要なミッションです。

インタビューが行われたペイロール社オフィスにて
「禁止」では守れない ─ だから「使わせる」を選んだ
吉田:
全正社員の半数を超える330名規模でAIリスキリング研修の導入を決めた背景を教えてください。
原:
私はAI開発を担っている立場ですが、社内にはマニュアル業務がたくさんあります。けれど結局、現場には「AIアレルギー」のようなものがあって、どう使っていいか、何に使ったらいいか、そして何に使ってはいけないかも分からない、という状態でした。
だからこそ、きちんと理解した上で使ってほしい。
それから、社外への発信としても、私たちが当たり前にAIに取り組んでいると示せることの効果は大きい。それを実現するには、やる気のある人全員に手を挙げてもらえる仕組みが必要だと考えました。
杉本:
私たちは給与情報という極めて機密性の高いデータを扱ってます。一度の漏洩が、積み上げてきた信頼を根こそぎ奪ってしまう
「イエローカードはなく、一発で退場」
杉本:
それくらいの緊張感のある仕事だと捉えていますし、だからこそ細心の注意を払い、常に高い意識を持って業務にあたっています。
吉田:
それだけ緊張感のある世界だと、むしろ「AIは原則禁止」という判断もあり得たと思います。
原:
そこは私たちも考えました。けれど、禁止して蓋をしても、現実には社員が個人のツールで隠れて使ってしまう。知らないまま無自覚に使われることこそ、いちばん危ないんです。
だからこそ、使わせないのではなく、必要な人が正しく使える状態をつくる方が、結果的に守りにもなると判断しました。AIの開発者だけでなく、一般の社員一人ひとりが、特にセキュリティに関して最低限のリテラシーを持っていてほしい。生成AIパスポートは、その最初のフックとしてすごく有効なんじゃないかと考え、希望者を募って導入を決めたんです。

AI開発を担う立場から、研修導入の背景を語る原 健太様(上席執行役員 Product本部)
「ただ読んで受けて」では人は動かない ─ 教育とセットで選んだ
吉田:
数あるAI研修のなかで、KIZASHIを選んだ決め手は何だったのでしょうか。
原:
一番大きかったのは、試験だけでなく教育がセットになっていることです。会社判断で業務時間内に取得させる以上、「あとは自分で頑張って読んで受けてください」というスタイルではハードルが高すぎる。学習プログラムと資格取得(※)が一体になっていることが、現場にとってもとても入りやすかったのです。
資格を選ぶときも、母集団の認知度はひとつのファクターでした。社外にもきちんと言えるもの、体系立ったものがいいと考えて、いくつか比較したうえで選んでいます。
※研修の受講後、チェックテストに合格することで資格取得が可能。
吉田:
生成AIパスポートは、業界全体でも認知が一気に高まっているところです。受験者数は2026年4月時点で9万2000人超えで、近いうちに10万人を超えてくる勢いです。母数が増えるほど、社外への証明としての価値もさらに上がっていくと考えています。
吉田:
導入にあたって懸念点や障壁はありましたか。
原:
やはり合格率ですね。受けても取れないと意味がないし、誰でも受かるようなものではレベルとしてどうなのかと。
「必ず受けさせるし、必ず合格させたい。でもレベルはちゃんとしたものに」
原:
この両立のために、教育とセットで提供されているKIZASHIの仕組みが決め手でした。テキストだけ配って試験を受けるスタイルでは、全員は合格まで運べないなと感じていたので。
「業務時間内」で学ぶ ─ 学びを受け止める環境を整える
吉田:
受講期間中、社員が学びを業務に活かせるよう工夫したことはありますか。
原:
いちばんは、学習を業務時間内に組み込んだことです。「あとは各自で頑張って」ではなく、会社として学ぶ時間をきちんと確保する。学んだことをそのまま日々の業務で試せるようにしておく。そうした環境があると、研修の手応えもまるで違ってきます。
吉田:
多くの企業では結局、社員が個人のGPTなどを勝手に使ってしまう。いわゆるシャドーAIが増えていて、これがかなり問題になっています。御社のように、まず全社のリテラシーを底上げしてから活用へ進んでいる企業は、本当に強いと思います。
杉本:
そこは意識しているところです。第三者の研修で学びを底上げしつつ、社内でも安心して使える状態を整えていく。その両輪が回り始めたことで、バックオフィスのメンバーの関わり方も変わってきたと感じています。

「両輪が回り始めた」─ 杉本 友也様(左)と原 健太様(右)
ハッカソンで組織を一気に動かした ─ 開発と現場を「混ぜる」設計
吉田:
先日のセミナーでも紹介されていた「全社ハッカソン」。あれはどのような経緯で?
原:
もともとは「AI教育をどうするか」というお題から始まりました。マトリクスに整理して眺めていたら、結局どこから手をつけても全部つながっているし、全部やったらどれだけ時間がかかるのか、という話になってしまって。
それで、こんな面倒なことを考えるより、いったんみんなにAIを使ってもらって成果を出させればいいんじゃないかと。
「ハッカソン? なにそれ?」から始まった全社プロジェクト
原:
当時は誰もハッカソンを知らなかったのですが、年末調整の繁忙期の手前、アイデアから実行まで2週間ほどで一気にやり切りました。
吉田:
チーム編成も工夫されたとうかがいました。
原:
あえて部署をまたいで混ぜました。同じ部署だけでやると課題もアウトプットも、いつものものしか出てこない。開発と現場を混ぜることで、開発の人は現場を理解するようになるし、現場の人も「そんなアイデアがあるのか」と気づく。
杉本:
受講者からのフィードバックも、8割以上が非常にポジティブでした。給与業務という保守的な思考になりがちな組織で、これは私たちにとっても意外なほどの手応えでした。
CFOが先頭を切る ─ 経営層が学ぶと、組織は動く
吉田:
組織としてどのような変化が起きていますか。
杉本:
還暦を超えたCFOが、役員のなかで一番最初に生成AIパスポートを取得していました。「私も勉強しているんだから、役員のみなさんも取ってくださいね」と自ら旗を振ってくれて、結果として役員層のほぼ全員が取得しています。
学んだうえで自分たちで使う。社内で使える環境のなかで、GPTだけでなくエージェント型のAIまで試して、現場のGMやマネージャーに「これを使ってみたらどうか」と提案する人が増えてきました。学習した後にきちんと自分で使うところまで浸透してきていると感じます。
吉田:
それは本当に理想的な形だと思います。多くの会社をご支援していて感じるのは、研修にブレーキをかけるのは、たいてい経営層なんです。「AIなんて必要ないんじゃないか」という方が上にいると、なかなか進まない。逆に、まず自分でやってみるという方がトップにいる組織は、驚くほどスムーズに広がっていきます。御社のCFOのような存在は、それだけで組織を動かす力になりますね。

経営層が率先することの重要性を語る杉本 友也様(執行役員)
原:
バックオフィスの方々も、一緒に開発する過程で要件を出してくれて、それがすぐに形になり、フィードバックしたらまた改善される、というプロセスが回り始めました。
そうすると運用とシステムをセットで考えるという思考が自然と養われていく。PDCAのサイクルが以前より明らかに早く回るようになっています。
業務全体を書き換える ─ ピンポイント活用から「業務の再デザイン」へ
吉田:
今後のAI活用については、どのような構想がありますか。
原:
ひとつは開発側でClaude Codeのようなツールを使い、エージェンティックな開発に本格的にシフトしていくこと。中身は十分わかったので、ここからは実業務でリターンを出すフェーズに入ります。
もうひとつ、これまでのAIチェックのように「クリティカルな部分にピンポイントでAIを当てる」考え方から、業務全体を書き換える方向にシフトしています。
たとえばセットアップ業務は、ヒアリングから設計書作成、レビュー、設定、テスト、お客様確認、並行稼働まで非常に長い期間がかかっていました。これは前提として、エクセルなどドキュメントベースの進め方を想定していたから。
ここを再デザインするワークショップを、開発と現場が同時に入ってやっています。すると「これいらないよね」「そのままAIに読み込ませて解析した方がいいよね」という話になって、まったく新しい設計が見え始める。
「これができたら、今までは何だったのだろう」
原:
ちょっと衝撃を通り越して、悲しくなるくらいのインパクトだと思っています。今年は、それぐらいの変革を自ら起こしていく方向に取り組んでいきます。
新卒64名にも投資する ─ AIネイティブ世代へのバトン
吉田:
今期、新卒64名にも研修を組み込んだ狙いを教えてください。
杉本:
既存社員のバイアスを取り除いていくのは、もちろん大切です。一方で、これから入ってくるAIネイティブに近い世代にも早くから投資しておくことが、組織全体の力に長く効いてくると考えています。
業務の仕組みもプロダクトも、これからまったく違う考え方で作っていく以上、AIをAIとして解釈してものづくりができる若手のベースが必要です。AIに投資している会社だと身をもって経験してもらう意味でも、新卒のうちから研修を入れたいと考えました。
原:
私の友人で本当にAIができる人が、「最近の新人はかわいそうだ」と言うんです。コーディングひとつとっても、AIの方が早く正確にできてしまう。比較対象が人ではなくAIになっている。
中途採用ならドメインナレッジがあって、そこにAIをアドオンするイメージでいいけれど、新卒は何もないところからAIと向き合うことになる。だからこそ、最初に最低限の「武器」を渡しておきたいんです。
「最初に、最低限の“武器”を渡しておきたい」
原:
悲観しているわけではありません。今まで人が築いてきたものがすぐAIに置き換わるとも思いません。むしろ既存の枠を壊して、AIと融合していけるのはこの世代だと思っています。新人にこそ生成AIパスポートを取らせる意味はそこにあります。
吉田:
今回の新卒64名への研修は、今後の継続も視野に入れていらっしゃるとうかがいました。
杉本:
そうですね。新卒への研修は、今後も続けていけたらと考えています。既存社員については、いったん手を挙げてくれた方が取得を終えたので、ここからは通常の試験形式に切り替え、テキストや受験費用を会社として補助し、学習自体は業務時間外で進めてもらう形を採用しました。これから入社してくる人には、学習プログラムと資格取得がセットになったKIZASHIさんの研修を継続できればと考えています。
新卒への投資を続けていければ、AIを前提に考えられる人材が、着実に組織へ増えていく。そこが何より大きいと思っています。
同業界・同規模の経営層へ ─ 最初の一歩のヒント
吉田:
最後に、同じ業界や規模の経営層へ、最初の一歩のアドバイスをお願いします。
原:
偉そうなことを言うつもりはないのですが、「経営層がAIを知らない、考えていない」というのは、もう口が裂けても言いたくない。資格を取るかどうかはともかく、何らかの形で自分がフロントに立っていないと、現場の活用に期待もできないし、ガイドラインもポリシーもつくれない。
シャドーAIの判断も下せないままだと、いつか事故になります。AIは経営リスクであり、経営オポチュニティでもある。
「少なくとも、社内で一番考えている人でありたい」
原:
私はそう思って取り組んでいます。
杉本:
「習うより慣れろ」というのはその通りなのですが、慣れる前に最低限知らなければいけないことは絶対にあります。それが欠けたまま使うこと自体がリスクであり、無法地帯になってしまう。
「この知識レベルがない状態で使うのはやめた方がいい」その教科書的な指標になるのが生成AIパスポートだと感じています。ちゃんと考えている会社さんなら、まずはここからやってみる、というのは強くおすすめできる選択肢だと思います。
終わりに
ペイロール様の取り組みからは、「AIリスキリングは現場任せにせず、経営が先頭で旗を振る」ことの重要性が一貫して伝わってきました。一度の漏洩も許されない事業だからこそ、社員にリテラシーという「武器」を持たせ、業務の再デザインへと一歩ずつ歩みを進めていらっしゃいます。
「AIを使うかどうか」ではなく、「いかに考えて、いかに渡すか」。事業の根幹を担う組織のリーダーシップが、AI活用の景色をどう変えていくのか、その手触りを感じさせていただいた取材でした。
株式会社ペイロール 原 健太様、杉本 友也様、貴重なお時間をありがとうございました。
─
取材・聞き手・構成
吉田 圭佑(株式会社KIZASHI リスキリング事業部 執行役員 兼 営業統括)
取材日:2026年5月27日 / 取材地:株式会社ペイロール 本社



